つどい場 さくらちゃん
昨日、西宮市で「つどい場さくらちゃん」を開いておられる🌸
まるちゃんこと〜丸尾 多重子さんにやっとの思いで
連絡を入れる事ができました‥
でも、メールしたのは今回が初めてではありませんでした。
実は、一年半前に、「つどい場さくらちゃん」に行くために
西宮に向かっている途中、母が倒れたとの電話を受けました。
ちょうど、広島でした。
佐世保にとんぼ返りしてから、すぐに父と母が10日違いで、旅立ち
2人の喪主をして、何が起こっているのかわからない時間を
過ごしました。
亡くなる前、ふたりが別々の病院で、意識がなく、
今後の治療方針や、家族として、しなければいけない事をこなしていた時、
「あー今、私のこころここに居ないな」
と自分で感じる時がありました。
本当に辛い時って、身体はそこにあっても、こころをどこか安全な場所に
一時避難させるんだな〜と思います。
一年半経ってやっと、まるちゃんに、また会いに行きますと、
泣かずにメールができました。
母との最後の話は、つどい場さくらちゃんの話題でしたからね〜
いつそれが最後の会話になるかなんて
ほんとわからないものです。
思いをかたちに
共生型 「つどい場 ゆいまーる」では、
① 食事ができる場所
② 訪問系サービス
③ 思いを発信する
④ つどい場づくり
大きくこの4つに分けて、事業計画中です🌵
そして、すこしづつ🐌ですが、進んでるように感じます。
それは、私の思いだけで、作っているのでなく、
いろんな人の顔が具体的にみえてきて、ニーズや思いが、
背中を押してもらっているなぁと実感‥
なので、
実現し、継続させるために、一番苦手💦な
「事業計画書」「経営・財政」をコンサルタントの方に
今週末に、第1回のプレゼンテーションが待っております😅
できるだけ、ゆいまーる事業の4つを具体的に、伝わるように、
がんばります🎄
「その思いは、わかるけどね〜じゃあ具体的に何したいの?」
「思いだけじゃねー」
「言うだけで、何もできてないよね」
と言われ続け、
考えがいつもぐるぐる🌀そんな私です。
同じように、「思いをどう形にしていいかわからない」
と悩んでいる方もいるかもしれません。
何かのヒントになるような‥
一緒に歩んでいけるブログにもなれたらと思います^^
セルフネグレクト
最近 「セルフネグレクト」(自己放任)という言葉とその背景が気になっている。
一見、とてもわかりにくい。
だって、「自分」が「自分」を
じわじわと壊していく、
あきらめる、拒否する、見捨てる‥
みたいな。
本来は生物学的にも、とても理にかなわない行為なんだろなぁ思う。
『緩やかな自殺』とも言われている。
私自身や周りで見聞きする「生きづらさ」の根っこに、
実は、深ーく関わりがあるのではないかと思っている。
高齢者の孤独死など、社会的な問題になっているが、
実は30代、40代世代の孤独死も増えているそうだ。
当事者への、支援のアプローチも必要なことであると思うが、
「セルフネグレクト」により、親、子、きょうだいが、亡くなったり、
支援をしようとしても、頑なに拒否され続ける姿を見せられる
家族の受ける苦しみは根深い。
そして、負の連鎖を断ち切りたいと、残された者たちは、
「幸せになる」ことが許されることを、確かめながら生きていく。
できれば、あなたを大切に思っている人に、
そんな思いを、させないでほしいと願います^^
「ながさき自立生活センターこころ 」の山口くん
先日 佐賀市で障害者一人暮らし支援会主催の「風は生きよという」の映画 上映と
「ながさき 自立生活センターこころ」
代表の山口和俊くんの報告会に参加してきました。
今年 3月におじゃまさせてもらった CIL下関の河本さんにも会え🔆、
進行役は、北九州の自立生活センター「ぶるーむ」の後郷さんです✨
CIL(自立生活センター)は、各県にあり、障害をもつ当事者が中心となり運営されています。
佐賀県にはまだ、センターが無いそうです。
映画🌠「風は生きよという」を観るのは、今回2度目でした。
この映画は、地域で暮らす人工呼吸器ユーザーの日常生活を描いたドキュメンタリー映画です。
・ いろんな暮らし方してる人がいること知りたい・伝えたい
・パソコンなどのいろんなコミュニケーションツール活用の進歩はすごい
・ 意思の疎通が難しい時の対話方法見つけていく可能性
・在宅での呼吸器利用のことを
・自己責任、自己決定のとらえ方について
など✨考えさせられました。
「ながさき自立生活センターこころ」の山口くんは、人工呼吸器ユーザーです。
少し前に、報道特集やドキュメンタリー番組などでも紹介されました。
一人暮らししながら、いろんな活動&遊び🎉に忙しい日々を過ごし、
日本を飛び✈️回っています。
なかなかスケジュール空きがない、山口くんですが😆
佐世保でも、企画を一緒に準備中です。
日程決まり次第、お知らせ出します〜📩
どうぞよろしくお願いいたします🔆
いつでも一人じゃないのかも!?
大学の4年間一人暮らしを経験したことがなかった。
1年生の時は女子寮で、その後3年間は自宅で下宿を営んでいる家にお世話になっていた。
女子寮の時は、とにかく規則が厳しく、生活の細部まで決まりごとがあって、
毎日みんなについて行くがやっとだったと思う。
下宿は、明治生まれの国鉄マンだったのおじちゃん夫婦が営んでて仕事がら一分一秒のズレも見逃さない⏱
それなりに緊張感はあったけれど、四畳半の自分の部屋ができたことが嬉しかった。
携帯なんてない時代、連絡を取る方法は、一台の廊下のピンクの電話📞だけで、
「リーン」と鳴ると、居合わせた誰かがとって、
「〇〇さんお電話でーす」と部屋まで呼びに行ってたなあ。
実家に電話する時は、10円玉積んで、県外通話は10円が沢山要った。
お風呂も順番、急ぐ時や用事で出かける時は、声かけあって「先にどーぞ」と譲り合う。
たまに、下宿のお風呂がお休みの日は、町内の温泉に入りに行ってた。
別府だったから、温泉が各家庭に♨️引いてあったけど、
一般家庭で、家にお風呂はあっても、 住民のみなさん町内の公衆温泉にわざわざ入り
に行ってたと思う。
だいたい、町内の温泉、お湯かげんは町の長老🔆のさじ加減で決まる。
そしてビックリするほど、お湯が熱い。
でも、慣れてるのか普通に子ども達も、入ってるし‥よそ者の私たちが水を足すなんて100年早い💦
寮でも、銭湯でも、「こんばんは〜」「お先に失礼します」の声かけあって楽しかった♨️
そうそう、銭湯では、洗髪するかしないかで、20円ぐらい料金が違ったけ、「髪洗いまーす」
と番台のおばちゃんに申告する。
今は、おひとりさまの生活だけど、意外と人が近くに居る暮らしは嫌いじゃないと思う。
大学の友人が、「老後は近くに住もうよ〜」とこの前会った時に、言ってたっけ。
友人同士などで近くに住んだり、シェアハウス🏠で
プライベートと共同スペース両方を上手く取り入れるなど、家族だけでない、
いろんな暮らし方がある。
そうそう‥書きながら、思い出したけど
女子寮の時、2人部屋の私のベッドの🛌上だけ、寝っ転がると見えてたなーおふだ
が貼ってあった。
お塩もあったような気がする。
毎晩見上げながら、ぐーぐー寝てた鈍感な私は、きっと誰かに見守ってもらってたに
違いないと思う。
何かを始める時って
「つどい場 ゆいまーる」の場所はまだ決まってません。
探しているのを知っている友人が「空き家があるんです。ここ如何ですか?」
と一軒家の写真送ってくれました。
つどい場オープンを応援してくれている、美佐子さんの車で🚗見に行ってきました。
今までも、良いと思う物件🏡あれば、写真だけでは周囲の環境も分からないことがあるので、
いろいろな所を見に行きました。
「思っている条件100%合うなんて、ないよね〜」と心のどこかで、わかっていても
「ここだ〜」と決めるのってなかなか思いっきりのいることですよね。
なので、自分でお店を始めた人たちに会うとついつい
「この場所だと思った、決めてって何でしたか⁉︎ 」と聞いてしまうんですね〜
尋ねていく中で、感じたのは何かを始めようと決める人達は「覚悟」が違うってこと。
私にはその「覚悟」がどれだけあるのだろうか。
来年のオープンの目標に向けて、道は遠いけど‥実現させるぞ^_^
孝行したい時には‥
家がお店を営んでいた事などもあり、生まれてから、親戚のおばちゃん家にお世話になっていました。
父が仕事終わって迎えに来ても、「かえりたくない〜」と泣き叫び‥父を寂しく一人で帰していたようで
0歳児から家出娘で本当にごめんなさい💦
結局、小学校3年生頃に実家に戻るまでおばちゃん家や母の実家の平戸のばあちゃん家やいろいろな所で暮らし、育ててもらいました。
さすがに気をつかってか、実家に週末ぐらいは顔出してました。
自分で勝手に平戸の小学校に転校するから「ランドセル🎒送って」
と母に電話した時には、さすがに怒られた😾のか、あきれられたのか転校は夢と終わりましたが。
今思えば、お世話になったどちらの家も大家族だったし、商店街の人たち、実家の店のお客さん、ほんといろいろな大人を見てきたなぁ。
子どもの私には、以外と楽しかった。
昨年、父と母2人とも10日違いで天国に旅立ってから、いろんな事思い出します。
幼いわが子を誰かに託す、親の気持ちってどうだったのだろう。
『孝行のしたい時分に親はなし』とよく言ったもんだと携帯で調べて見たら、江戸時代の川柳集の中の一句でした。
どの時代も人の世の常、生まれて、そして死んでいくのだけれど。
江戸時代のちょんまげ姿の人も(勝手に想像中🙉)私と同じような気持ちだったのかと思ったら、
ちょっと元気もらいました。
今日も読んでいただきまして、ありがとうございました。